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6月5日、才市さんの顕彰法要がつとまりました。
会場は才市さんの家、お勤めの正信偈は、才市さんの家のお仏壇です。
このお仏壇は、才市さんが51歳の時に亡父・西教の7回忌の仏事をつとめるにあたり、
その前年の12月に新調したもので、
ご本尊・脇掛け・御文章をご本山から求められたものですが、
それは明治32年、はや100年も前のことです。
そのお仏壇を背にして、ご法話をさせていただくことができました。
一人25分という持ち時間で、3番手となりました。
その時のお話を、説明不足のところなどに少々手を加えて、お話してみましょう。
釈迦・弥陀は慈悲の父母
種々に善巧方便し
われらが無上の信心を
発起せしめたまひけり(『高僧和讃』善導讃【74】)
どなた様も、ようこそのお参りでございました。
引き続きお聴聞いただきますこと、御礼申し上げます。
今日はお正信偈のお勤めでしたが、ちょっとお聞きしますが、
「皆さんは、阿弥陀如来さんという仏さまは男性だと思いますか、女性だと思われますか?
実は、その答えがお正信偈にちゃんと書いてあるのですが、ご存知ないですか?」
お正信偈は「帰命無量寿如来・南無不可思議光」と始まります。そして「十二光」のことろで、
普放無量無辺光・無碍無対光炎王
清浄歓喜智慧光・不断難思無称光
超日月光照塵刹
あまねく無量・無辺光、無碍・無対・光炎王、清浄・歓喜・智慧光、不断・難思・無称光、
超日月光を放ちて塵刹を照らす。
とあって、その次に、
一切の群生、光照を蒙る(かむる、こうむる)
とありましょう、あれです。これは、
「いっさいぐんじょうむこうしょう」
と読むのではなくて、
「一切の群生を婿にしよう」(笑)
と。「全ての衆生をお婿さんにしよう」ということは、如来さまは女性だということになるのだそうです(笑)。
釈迦・弥陀は慈悲の父母
と親鸞聖人がご和讃に述べておられますが、そのご和讃は善導大師を讃えておられるご和讃のところに出てまいりますが、『唯信鈔文意』というお書物には、
釈迦は慈父(じぶ)、弥陀は悲母(ひも)なり。われらがちち(父)・はは(母)は、種々の方便をして、
無上の信心をひらきおこしたまへるなりとしるべしとなり。
とですね、今の、善導大師のご和讃ところでは、
釈迦・弥陀は慈悲の父母
と、「慈悲の父母(ぶも)」と、「父母(ちち・はは)」と一返に出てくるので、どちらがお父さんやらお母さんやらはっきりしませんが、『唯信鈔文意』というお書物では、
釈迦は慈父(じぶ)、弥陀は悲母(ひも)なり。
といってありますので、「やっぱり阿弥陀さんは女性かなあ」と思うて、折々に、お正信偈のあそこのところ、「一切群生蒙光照」のところに来るたんびに、
「如来さんが一切の衆生をお婿さんにしてくださる、有り難いなあ」
と思うて味わうのであります。
けれども、これは私が思いついた話ではなくて、若い頃にお年寄りのご院家さん方から聞いた話です。ご院家さん(ごいんげさん)方の勉強会などで、一晩泊まりの研修会があったりすると、当時は本堂に、雑魚寝(ざこね)というてですね、40〜50人、ご院家さん方が本堂に枕を並べて寝るのでありますが、早く寝る人もおれれば、寝つきの悪い人もおられまして、私らも寝つきの悪い方で、それでまた宿のご院家さんに一升提げてきてもろうて、本堂の横っちょの方で遅くまで呑んでおる。
そういう時に、年寄りのご院家さんらが、まあ、話題が途切れた時などに、
「阿弥陀さんは男か?女か?」
とかいうてクイズが出て、
「そんなことは大学で習わらんかった・・・」
「ちゃんと答えんと、あんた大学まで行って、何を習うてきた・・・と言われるかな」
など思いながら、一生懸命考えておると、「一切群生蒙光照」と言うて、今の「笑い話」になるのでした。
蛇足ながら、
「阿弥陀さんが女性なら、女人は婿にはなれんが・・・」
と目くじらを立てる必要は、もちろんありませんので、悪しからず。
男女貴賎ことごとく
弥陀の名号称するに
行住座臥もえらばれず
時処諸縁もさはりなし(『高僧和讃』源信讃【94】)
であります。