北野天神縁起

北野天神縁起
京都市・北野天満宮蔵、 鎌倉時代(1219) 紙本着色
各縦 52.5cm
全長        1933c  第5巻926cm
2845cm 第6巻894cm
第3巻1038cm 第7巻932cm
第4巻863cm 第8巻511cm



1 (第1段)幼稚化現、是善対面 (第2段)十一歳詩作 (第3段)大戒論序  
2 (第1段)良香邸弓遊 (第2段)吉祥院五十賀 (第3段)任大将 (第4段)家集天覧 
第3巻 (第1段)朱雀院行幸 (第2段)内裏行幸 (第3段)紅梅殿訣別  
4 (第1段)西下途中 (第2段)西下船出 (第3段)恩師 (第4段)送詩長谷雄 
5  (第1段)天拝山 (第2段)安楽寺葬送 (第3段)柘榴天神 (第4段)清凉落雷 
(第5段)尊意渡水       
第6巻 (第1段)時平病患 (第2段)公忠奏聞 (第3段)清凉落雷 (第4段)延喜帝落飾 
7 (第1段)日蔵廻六道(第一地獄道)   
第8巻 (第1段)日蔵廻六道(第2餓鬼道、第3畜生道、第4修羅道、第5人道、第6天道)
   



『北野天神縁起』は、その遺品きわめて多く、縁起類絵巻の中にあって、その占める位置は大きい。諸本では、
弘安本(考案元年)
津田本(永仁六年)
松崎本(応長元年)
荏柄(えがら)本(元応元年)
などがその主なものであるが、この北野天満宮の8巻本は制作年代が最も古く、絵巻物では最大の画面を用い、規模ははなはだ雄大である。ゆえに諸本の根本であるとして、いわゆる根本縁起の名で呼ばれている。
本巻は菅原道真の一代記と死後の怨霊と北野社の建立ならびに日蔵上人六道巡りだけで終わり、諸本と比べるとその後に続く数々の霊験利生記を欠いている。しかし、白描の下絵が別に残っており、最初はあと幾巻か続く意思のあったことが知られる。
画風は一種独特な癖のある雄偉なもので、色彩も絢爛(けんらん)として生彩に富む。詞書の初めにある「承久元年(1219)巳卯(みのとう)今に至るまで・・・」の句から制作年代はほぼその頃と見られ、承久本とも呼ばれている。筆者には藤原信実の伝称がある。