親鸞聖人が亡くなられました時、そのご臨終を看取られた方の中に、親鸞聖人の末娘である覚信尼がおいでになりました。その時、覚信尼はすでに未亡人になっておられたのですが、この覚信尼のお母さん、つまり親鸞聖人の奥様の恵信尼という方は、色々な事情がありまして、多分この方のお里であろうと思いますが、越後、現在の上越市辺りへ帰っておいでになるのです。奥方の恵信尼様は、お里の方に少し土地を持っておられたので、その財産の管理という問題もあったのだろうと言われておりますが、お子様方何人かと一緒に越後へ帰っておいでになるのです。そこへ、覚信尼が、お父さんの親鸞聖人が11月28日の昼頃、命終えられたという手紙を送られます。
覚信尼からすれば、
「お父さんの最後はあれよかったのだろうか。」
という気掛かりが、多少あったのではなかろうか、こう想像されるのです。親鸞聖人ほどの方であれば、命終られる時に、来迎といいましょうか、阿弥陀様がお浄土から迎えに来てくださるような感じがするとか、あるいは奇瑞、つまり紫の雲が漂うとか、いい香りがするとか、そういうことがあってしかるべきではないか。
その当時は臨終来迎というようなことが非常に大切に語られていたのです。だから法然聖人のご臨終も、そういう形で伝えられております。多くの人々が法然聖人の最後について、様々な奇瑞があったと伝えております。
「本師源空のおわりには、
 光明紫雲のごとくなり、
 音楽哀婉雅亮にて、 
 異香みぎりに暎芳す
そうであろう。
光明が輝き、紫の雲がたなびいた。とてもいい香りがその辺りに香ったと言われる。
「そうあろう、そういうことがあっても不思議ではない。」
と、親鸞聖人が法然聖人のご臨終を讃えておられる。これはそういう『御和讃』であるわけです。
覚信尼も、親鸞聖人の最後に、あるいはそういうことを期待されたのではなかったでしょうか。ところが、全然そういうことのない、普通の人間の臨終であった。
「これでいいのだろうか。お父さんの親鸞聖人は、あれほど仏法を喜ばれた方なのだが、ご臨終に何の奇瑞もなかった。平凡な死に様であったのだが、あれでいいのだろうか。」
「お父さんは本当にお浄土に往生なさったのだろうか。」
そういう、疑問と言いましょうか、不安と言いましょうか、それを表わすような言葉が、あるいは手紙の中にあったのではないかと想像されるのです。
それに対して、お母さんの恵信尼が返事を送られます。
「殿の御往生、中々、初めて申すに及ばず候う。」
我が殿、自分の夫である親鸞聖人は、往生ということを、死んでから極楽に行くというような、そんな素朴なことでご了解になっていたのではないのです。平生に正定聚の身となって、願生浄土の道を生きていく。そこに人間としての実を尽くしていくのが、それが本当の往生である。死に様が安らかであるとか、多少苦しそうであったとか、そんなことは問題ではない。こういうことをかねて教えてくださっておりました。何も心配は要りません。
こういうことを、お手紙の最初にお述べになってありますので、それで、今言った覚信尼様の、その時の心情が想像できるのです。(寺川俊昭)