ナガラハーラで夏坐(げざ)を終わり、南下してスハタ国に到る。この国の仏法もまた盛んである。ここは昔天帝釈(たいしゃくてん)が菩薩を試し、鷹と鳩に化し、菩薩が肉を割いて鳩をあがなった所である。後に仏が成道してから、諸弟子と遊行した際、「ここはもと私が肉を割いて鳩をあがなった所だ」と語った。国人はそれでそのことを知り、ここに塔を建て金箔で飾った。
ここから東へ5日下っていくと、ガンダーラ国に到った。アショーカ王の子・ダルマヴァルダナが統治した所である。仏が菩薩だった時にも、またこの国において自らの目を人に施したという。そこにも大塔を建て、金銀で飾ってある。この国の人は多くは小乗学である。
[註]
【スタハ国】宿呵多国。慧超『往五天竺国伝』の西業者多国。今のスワット地方。
【肉を割いて鳩をあがなった所】いわゆる仏本生譚、すなわちジャータカと呼ばれる釈尊の前世物語。この話はそのうちの尸毘(シビ)王物語。釈尊が尸毘王であった時、一羽の鳩が鷹に追われて逃げまどい、王の脇の下に隠れた。鷹は王に同量の肉を要求した。王は自らの股の肉を切ったが足らず、腕の肉、脇の肉を切り取ったがまだ足らず、遂に全身を秤に乗せて鳩の命を救ったという(ジャータカ499)。
【ガンダーラ国】犍陀羅国、乾陀羅国ともいう。今のハシュトナガル、旧名プシュカラーヴァティー。もともとガンダーラはスワット川とカブール川の合流点付近を指す地域名で、プスカラヴァティーはその古都であった。その首都は2世紀以後プルシャプラ(今のペシャワール)に移った。
【ダルマヴァルダナ】原文「法益」はその意訳。アショーカ王の子。漢訳経典に鳩那羅、拘浪拏などの名でみえる。『阿育王伝』巻2、『大唐西域記』巻3によれば、法益は淫乱な継母に逼られ、泣いて罪を謝したがその怨む所となり、謀られてタキシラに移され、次いで偽詔によって両目を抉られた。後に流離して都城に到り、夜を箜篌(くご)を弾いて悲吟し、王の耳に入り引見され事実が明らかにとなる。王は怒って継母に厳罰を加え、法益の両目は菩提樹伽藍の瞿沙阿羅漢の法力によって治癒したという。
【目を人に施し】釈尊が前世に日月明王だった時、路上で盲目の乞食に会い、「どんな薬が良いか」と聞いたところ、盲者は「ただ王の目のみが良く我が目に効く」と答えたので、王は直ちに自ら両目を取って盲者に与え、少しも悔いることがなかったという本生譚。
ここから東行すること7日、一つの国があり、タキシラ国という。タキシラとは中国語で截頭(頭を切る)の意である。仏が菩薩だった時、ここで頭を人に施したので、このように名づけている。
また東行2日、身を投げて餓虎に食わせた所に到る。この2か所にもまた大塔を建て、共にもろもろの宝で飾ってある。諸国の王や臣民は競って供養を盛んにし、散華、燃燈は相継いで絶えない。先の2塔と合わせて、彼の地の人は名づけて四大塔という。
[註]
【タキシラ国】竺刹尸羅は咀尸羅国、特叉始羅国とも書き、西パキスタンのラワルピンティの西北約30㎞のタキシラを指す。タキシラ、竺刹尸羅はともにサンスクリットの截頭(せつとう)の訛(なまり)という。サンスクリット名はタクシャシラー、パーリー語名はタッカシラー。古代から西北インドの要衝で、前5世紀~5世紀頃まで栄え、1913年以来22年にわたって行われた発掘により、ギリシャ文化や仏教文化の交流が明らかになった。
【頭を施し】いわゆる月光王説話。釈尊が前世に月光王(チャンドラプラバ)であった時、辺境のビーマセーナ王は月光王の噂を聞き、悪バラモンのラウドラークシャ(労度者)を送って王の頭を求めしめた。王は7日の猶予を得て、王妃、諸臣らと決別し、自ら頭をはねたという。
【餓虎に食わせた】有名な法隆寺の玉虫厨子にも描かれている餓虎捨身の説話。多くの本生譚に見える。
【四大塔】スハタ国の割肉貿鳩塔、ガンダーラ国の捨眼塔、タキシラ国の截頭施人塔、その東方の投身餧餓虎塔を四大塔という。