阿弥陀経の十六羅漢と釈迦十大弟子

阿弥陀経の十六羅漢

カールダーイ(迦留陀夷)
この人はカピラ城で釈尊の従者だったのです。釈尊の側に仕えてお世話をする、そういう仕事に携わっていたようです。釈尊が一度カピラ城へお帰りになりました時に、それを機会に出家したということです。
この人は、釈尊の従者であった頃に、色々ともつれた女性の問題を度々起こしているのです。そんなこともあって、釈尊がお帰りになったのを機縁にして出家得度したようであります。そして、やはり阿羅漢の悟りを開いた、煩悩を断ずるという悟りを開いた。
迦留陀夷というのは黒光と訳します。賓頭盧頗羅堕も迦留陀夷も『大無量寿経』にはありません。この黒光というのは、この人は毒蛇の毒に当てられたのです。命は助かったのですけれども、その毒で顔が真っ黒になってしまった。それで黒光りがしていたという。
迦留陀夷が若き時、カピラ城外に一本の大樹があって、これが往来の邪魔になるというので切り倒すことになった。若きお釈迦さまが迦留陀夷たちと出かけてみると一匹の毒蛇が出てきた。迦留陀夷はお釈迦さまにもしもの事があってはいけないと、刀でその毒蛇を切ったところ、その毒気に当てられて身体が真っ黒になったのだというのである。それで、「カール(黒い)・ウダーイン」と呼ばれるようになったと。
迦留陀夷が外出すると、皆から「何と黒いな」と言われる。それが恥ずかしいものだから、托鉢も夜出かけた。夜歩いては托鉢をしておられた、そういう非常に面白い人です。ある夜、托鉢して歩いていたら、志を持った女の人が「何か一つ差し上げよう」という訳で迦留陀夷のところへ持って行かれた。その時稲光がして、その光で立っている人が真っ黒の鬼に見えた。それでビックリして気絶した。本当に驚いたらしい。たまたまこの女の人が妊娠していて、それが原因で流産した。それで釈尊が、「もう、お前は夜歩くな、絶対に夜歩いてはならない」と言われて、仕方がないから午前中に托鉢して歩くようになった。
          
この人は非常に教化に熱心な人でありました。この迦留陀夷という人は、確かに自分が女性問題で非常なもつれを起こして、様々な問題を次から次と起こしたということを懺悔して、釈尊が国へ帰られた時に出家したということがあります。ですから、人々を非常に感化する力があったといいます。自身が色々と女性関係で罪を犯して、そして我が身も悩んだという体験がありますから、それが生きたのでしょう。過ちを犯し、人間関係で問題を起こし、悩み苦しんだことが、仏法に遇って全てが良い方向に生きてきた。それで人々を感化することに活躍されたので、仏弟子の中で教化第一と呼ばれております。
特に、自分自身が女性関係のもつれで色々と問題を起こしたものですから、在家の人々の中でも女性問題を起こしている人、そういう人の中に入ってもつれを解きほぐす。もちろん、他の方面の問題も解決されたのですが、特にそういうことに非常に力を入れられたようで、女性問題の専門家であったようです。
しかし、彼はそのために、最後にはとうとう恨まれて殺されてしまいます。
ある夫婦がおりまして、両方がとても浮気者で、主人の方は女を作り、妻の方も外に男を作る。そういう混乱した夫婦の家庭があったのです。その二人を迦留陀夷が何とか教化しようと努力されたのです。しかし、その男がどう勘違いをしたのか、迦留陀夷を恨んで殺してしまった。そういう悲惨な最期を遂げられた方です。まさに命懸けで教化された人と言えましょう。迦留陀夷が亡くなったのはコーサラ国の鹿子母講堂であったという。(仲野良俊)
     
カピラ城には、お釈迦さまが出家されて12年、お悟りを開かれて7年、その間一度も帰国されないお釈迦さまを待ち焦がれる父王スッドーダナがいた。スッドーダナは幾度となく使者を送ったが、その都度使者は出家して戻っては来なかった。最後に頼ったのが迦留陀夷であった。彼は長年の太子時代からの朋友であり、父王の信頼も厚く、王の意向を受けて太子に結婚を勧めたのも彼であった。
「王さま、そのためには先ず私に出家することをお許しください。」
スッドーダナは、これまでのことを考えると、それも止むを得ないと了解した。迦留陀夷は竹林精舎へ赴き、出家して仏弟子となり、聖者の位に達した。そして、

「お釈迦さま、父上は貴方に会いたがっておられます。親族の者たちに好意をお示しください。」
と、父王の懇願を伝えた。
「よろしい、迦留陀夷よ。我れは親族の者に好意を示そう。皆にそれを知らせよ。皆は旅の準備をするであろう。」
彼は一足先に帰国し、父王にそのことを告げた。そして、国民にお釈迦さまの説法を聞かせ、信仰の念を起こさせ、お釈迦さまを迎える用意をさせた。だからお釈迦さまが「我が弟子中在家信者を作る第一は迦留陀夷である」と称されたという。(辻本敬順)