阿弥陀経の十六羅漢と釈迦十大弟子

阿弥陀経の十六羅漢

ピンドラ・バァーラヴァージャ(賓頭盧頗羅堕)
この人はコーサンビー国の大臣の子でした。非常に立派な家に生れられた。ある国の王さまの先生の子どもです。国師といいまして、国の師の家に生れられたのです。そして、空を飛んだりする神通力を非常に修行されたらしい。
この賓頭盧というのは翻訳すると「不動」です。動かないということです。ちょっとやそっとのことでオロオロしない。それから、頗羅堕というのは「利根」です。非常に感覚が鋭いのです。優れた能力を持っておられた。それが不動の悟りと言いますか、そういうものを得ておられたというので、非常に尊敬を受けられた人です。
ところが、この人は神通力があったのですが、それを猥りに使ったということで、釈尊から非常に叱られ、そして入滅を許さぬとまで言われたのです。どこまでも生き長らえて衆生を済度せよと言われたので、未だに香酔山の上においでになると言います。香酔山という山にいて、どこまでも末法の人々を助ける、そのことを一生懸命やって行けと、そう言われたのです。したがって、仏弟子が全部いなくなっても、この賓頭盧さんだけは未だ居られるということで、末の世の福田となる。福田というのは、功徳の種をまく場所になさってくださるということです。
          
この賓頭盧さんに触るということがある。これはインドからあったと言われております。末世の福田、つまり末の世に人間が功徳を積むことができる場所になってくださるということです。末世の本当の福田は仏です。けれども、賓頭盧さんも何時までも入滅せずにそのままおられる。それで末世の福田となってくださるということで、仏を祀る御堂には必ずこの賓頭盧さんを祀ったという訳です。そういう伝説があります。
浄土真宗にはありませんが、余宗のお寺の本堂の縁先に、赤いよだれかけをして、頭がつるつるの方が座っておられます。俗に「おびんずるさん」と呼んでいる。この人は、愛情も非常に深い人で、人が苦しんでいると何とか治してやりたいと思われるのです。だから、胃が痛いなら胃を、腰が痛いなら腰を、先ず「おびんずるさん」の前へ行って、自分の痛いところを擦ってから、その手で賓頭盧さんの頭を撫でるという作法があるのです。そういうことがインド、中国を通して日本にも伝わってきたと言われているのです。
          
この賓頭盧さんは、利根にして不動、そして優れた能力を持っておられ、説法にも勝れた才能を持っておられたので、獅子吼第一とも言われます。(仲野良俊)