離婆多は離越尊者とも言います。また『大無量寿経』では「尊者流灌」になっております。無倒乱第一です。これは煩悩というものを全く超えて、離れているというので離越という。この人は釈尊が亡くなってからある村に定住します。そうして小高いところに庵を結んで、そこで村の人々を教化し、非常に村人から尊敬を受けるのです。
ある時、布をもらった。それをオレンジ色に染めるために、大きな鍋に木の皮を煎じて、その汁で布を染め、それを乾かしていた。そうしたら、その晩村に牛盗人が入った。朝になると大騒ぎになった。村人が小高い丘の上を見たら、何やら赤い牛の皮が干してある。それで慌てて村人がやって来たら、牛の骨と赤い血が鍋の中にある。鍋の中の染料と牛の血を見間違えたのです。それで、村人は役所へ訴え出たのです。「とんでもない奴だ」「立派な人だと思っていたら牛盗人だった」と言うので、直ぐに捕まえられて牢屋へ放り込まれた。
ところが、この村人もズボラなもので、誤りだということが後で分かったのだが、申し出るのを忘れていた。忘れられた方は迷惑な話で、10年間も牢屋の中にいた。
そうした時、ある時、遠い所から離越尊者を訪ねてきた人がいた。「私が前に来た時には、確かにこの小高いところに離越尊者がおられた。もう十何年にもなりますけれども、ここにおられたはずだが、何処かへ行かれましたか」と言うのです。それを聞いて村人は思い出した。そして、ああそうだったという訳で「いや、あれは全く誤解でございました」と役所へ言うて出た。それで、早速離越尊者は牢屋から出された。
離越尊者は外へ出た瞬間、パッと空へ舞い上がったというのです。この人も神通力を持っていたのです。皆はそれを見てビックリした。空へ舞い上がったことには別にビックリしなかった。神通力を表わす人はよくいたから、そんなことにはビックリしなかった。何にビックリしたかと言うと、空へ舞い上がるような力を持っていて、どうしてこの牢屋から出なかったかということにビックリした。そんな神通力を持っているなら、牢屋から出るくらい何でもないだろう。誤解でありながら、どうして10年間もそんなところにじっとしていたのかと、それに驚いたと言うのである。
それで、理由を聞いた。すると、こう言われた。「自分はかつて悟りを開いた人を誹謗したことがある」。その時、離越尊者はまだ悟りを開いていなかった。だから悟りを開いた人のことは分からない。「悟りなんていう物はないものだ。そんな悟りを開いたというようなことは偽物だ」、そういうことを言ったという。「そういう尊者を侮辱した業によって、私はこの牢屋に10年居なければならなかったのだ。もし逃げても、またどこかで果たさなければならない。だから、私はその業を果たすためにおとなしく10年間ここにいたのだ」と、このように言われた。そういう有名な話のある尊者が、この離婆多という方です。(仲野良俊)