『無量寿経』では「尊者大住」として出てきます。この人は舎利弗の伯父さんです。つまり頭の良い血筋なのです。長爪梵志とも言われています。この人もバラモンです。梵志はバラモンという意味です。長爪といって長い爪なんです。爪を切らずに長くしていたらしい。ちょっと変わった人です。あんまり頭が良すぎて、物を考えすぎて、最後にニヒリズムに陥るのです。
ある時、釈尊に「私は一切の説を認めない」と言った。これはニヒリズムです。その当時は色々な説がありました。まあ六師外道などもありました。数論とか勝論とか唯物論もあるし、それからまた唯識論もありますし、観念的なものなど、色々なものがあったのです。
ところが、摩訶倶羞羅は「私は一切の説を認めない」と釈尊に言った。これはやはり研究したからそういうことを言うのです。これも駄目だ、これも駄目だとね。駄目だと分かることは、やはり分かるからです。すると、釈尊は言下に、「それならば、汝が、一切の説を認めないというとは、認めるのか。」と言われたのです。汝の説は認めるのか、認めないのかと。これは矛盾でしょう。釈尊は上手いですね。どっちを答えても間違いになる。認めると言ったら一つだけ認めることになる。一切の説の中から一つだけ認めたことになる。認めないと言ったら、一切は認めないということも認めないのだから、そうすると認めないことを言っていることになって、これはまた矛盾です。どっちへ転んでも矛盾に陥る。釈尊にそう言われて、参ったのです。それで遂に釈尊の弟子になった。
*
この人は釈尊が感心されるほど頭の良い人だったので、釈尊は「我が沙門弟子中、倶羞羅比丘は明快、聰利第一なり」と仰った。釈尊が驚かれるほどの頭の鋭さを持っていたのです。この人は問答第一です。中々上手に問答したらしい。それはそうでしょう。頭が良いから明快に答えることができた。
その当時のインドは、もう色々な思想が渦巻いていたのです。ちょうどバラモンの教えが実力を失ってきて、バラモン自身も段々力を失いかけてきている。気位の高い人もいるけれど実力はない。実力を持っているのは王族なのです。そこで起こってきたのがいわゆるクシャトリヤの教学です。王族の教学です。だから、仏教はバラモンの教学ではない。クシャトリヤの教学です。釈尊は王族ですからね。例えば、その同時代にマハーヴィーラという人が出てきた。これも王族、クシャトリヤです。この人が起こした教えがジャイナ教です。このジャイナ教は不殺生ということを非常に強く言います。不殺生、不妄語、不偸盗、不邪淫、離欲、この五つが大事な戒めです。離欲というのは「物に執着しない」ということ。マハーヴィーラという人は何にも持ちません。だから真っ裸です。それで、真っ裸ではどうしようもないと言うので、せめて白い衣を着ようと白衣派という一派ができた。それと、戒めを厳しくしようと分かれたのが空衣派、この二つに分かれた。
そして、不殺生の戒を守って虫も殺さない。ところが、それで段々農業の仕事ができなくなって、今では農民の信者はほとんどいなくなった。全部商人になった。商人だけれども嘘をつかないから非常に信用がある。だから、ジャイナ教の信者は全人口の5%しかいないけれども、インド経済で大きな影響力を持っている。このジャイナ教も釈尊が言う六師外道の一つです。これは『涅槃経』に「尼乾陀若提子(にけんだにゃだいし)」という翻訳になっています。『教行信証』にも「いま大師あり、乾陀若提子と名づく」と、引いてあります。内容については何も言うていません。
そんな訳で、当時クシャトリヤの教学が非常に勃興していたのです。そのために色々な宗が生れてきた訳です。摩訶倶羞羅という人はそれを皆マスターしたのです。それほど非常に頭の勝れた、鋭く明快な「聰利第一だ」と釈尊をして言わしめるような人であったのです。(仲野良俊)