善導大師の教え(その2)

古今楷定(仲野良俊先生のお話)

善導大師の事業を古来〈古今楷定〉と呼んでおります。難しい言い方です。
『観経』というお経は、中国に伝わって翻訳された時に、人々がこれを非常に歓迎したのです。俗っぽい言い方をすれば、『観経』は非常に人気があった。それで色々の高僧方が、この『観経』をそれぞれみな解釈されたのです。例えば、浄影寺の慧遠とか、天台智
とか、嘉祥大師吉蔵とか、色々の高僧方が筆を執って『観経』の解釈をされた。
〈古今楷定〉の古今というのはどういうことかというと、善導大師に先立って『観経』を解釈された
人が古でしょう。善導大師と同時代に『観経』を解釈した人もある、それで古今といわれる。この古今の諸師が、それぞれ解釈をされたのですけれども、この方々は総て聖道門の方であるので、聖道の諸師とも言っております。それを善導大師が改められた、それを楷定という。
「古今の諸師の解釈は違っている、それは『観経』の真意を受け取ったものではない。」
ということです。
「そうではなくて、『観経』の真意はここにある。」
という訳で、それが〈仏正意〉となるわけです。
「この聖道の高僧方の解釈は、筋道は立っているようだけれども、学問的に間違いではあるまいけれども、それは釈尊の真意を受け取ったものでは決してない。釈尊の解釈はこうだ…。」
と、善導大師がはっきりさせられた。その事業を〈古今楷定〉という。そのことを親鸞聖人は、
「善導、独り仏の正意を明かせり。」
といっておられるのです。

善導大師の古今楷定
@観経の序分
A実業の凡夫
B定善と念仏
C散善と凡夫
D観仏と念仏
E光明名号の因縁


六つの楷定@(仲野良俊先生のお話)

観経の序分


まず、善導大師は『観経』の序分を非常に長くとっておられます。どんなお経にも、初めの序分と、真ん中の正宗分と後の方の流通分とがあるのですが、たいがい序分というものはそう長いものではない。『阿弥陀経』なんかは序分が特に短いのです。もちろん『阿弥陀経』の場合は、通序だけしかありませんから、ああいうことになるのでしょうけれども、序分より流通(るずう)分の方がもうちょっと長い。『無量寿経』になりますと。別序というのがありますから、序分がだいぶ長くなってきます。けれども、やはり正宗分が一番長い。流通分はほんの少しです。
『観経』の序分を善導大師は非常に長くとられた。ということはどういうことかというと、善導大師は『観経』の序分というものを、他の聖道の諸師方よりも一層重要に見ておいでになるわけです。

序分には、先ず通序というのがあります。通というのは一般という意味ですから、どんなお経にも必ず出てくる序分のことです。特に大乗経典の場合には必ず出てくる。これにはちゃんと形式が決まっておりまして、六つのことが完備していなければならないということになっています。これを古来〈六成就〉といっております。

これには、順序がありまして、先ず〈聞成就〉〈信成就〉ということがあります。これには聞が先に来て次に信が来る場合と、信が先に来て聞が後に来る場合とがある。お経の最初の言葉に〈如是我聞〉あるいはまた〈我聞如是〉というのがあります。我聞というのは聞で、如是というのが信です。『無量寿経』は〈我聞如是〉となっています。『観経』や『阿弥陀経』では〈如是我聞〉。この点がちょっと違うのです。『法華経』は羅什(ラジュウ、鳩摩羅什クマラジュウのこと)三蔵の翻訳ですが、やはり〈如是我聞〉になっています。何れにしても、この聞と信の二つが、どのお経にもあるのです。
その次には〈時成就〉ということと〈主成就〉ということがあります。主というのは仏さまのことです。『浄土三部経』では、三経共に〈一時仏〉と書かれているのが、それです。『十地経』あたりはちょっと違っていまして、仏のことを〈婆伽婆〉と言ってあります。それから〈在どこそこ〉といって〈処成就〉が出てくる。『無量寿経』や『観経』では〈在王舎城耆闍崛山中〉ですが、『阿弥陀経』では〈在舎衛国祇樹給孤独園〉とあって、場所が違います。
そしてその後に、そこへ集まった人々の数と、主だった人の名が上げてあります。これが〈衆成就〉です。こういうわけで、この聞・信・時・主・処・衆の六つが必ず揃っているというのが大乗経典の建て前なのです。

ところが、お経には、それぞれのお経が説かれる機縁というものがあります。お経を説かれる糸口、きっかけです。そういうものを別序といいます。
『大経』の場合は、阿難の問いが機縁となっております。ある時、阿難は実に平生と異なった光り輝く釈尊のお姿を拝んだ。それで、
「今日はどうしてお釈迦さま、このような実に光り輝くお姿をしておいでになりますか。」
と、こうお尋ねした。
「今日世尊、住奇特法。今日世雄、住仏所住。今日世眼、住導師行。今日世英、住最勝道。今日天尊、行如来徳。」
とありますように、五つの徳を現わしておいでになったのです。釈尊が如来の本願を感得して、そういう光顔巍々(こうげんぎぎ)としたお姿であったわけです。それを目ざとく見つけた阿難が、

「どうしてそのようなお姿でありますか。」
と、聞いた問いをきっかけに、釈尊は自分の胸の中に感得したところの弥陀の本願をお説きになった。これが『大経』です。そうしますと、これは釈尊の光り輝くお顔、つまり光が機縁となっております。
ところが、『観経』は、皆さん方ご承知のように、いわゆる、王舎城の悲劇が機縁となっております。阿闍世(アジャセ)という皇太子が悪友提婆(ダイバ)の唆しを受けまして、ついに父の頻婆娑羅(ビンバシャラ)王を殺し、それを止めようとした母の韋提希(イダイケ)を牢屋の中へ放り込んだという摩掲陀(マガダ)国の王宮で起こった大きな事件です。そして釈尊がわざわざ耆闍崛山(ギシャクッセン)を下りて、韋提希の閉じ込められている王宮の奥深い牢獄の中におでましになり、韋提希のために説かれたのが『観経』です。ですから『観経』というお経は、人間の悲劇つまり人間世界の闇が機縁となっている。光が機縁となっているのが『大経』、人間の闇の出来事が機縁となっているのが『観経』です。明暗の二つが対比しているわけです。
ところが『阿弥陀経』には別序がありません。これは『阿弥陀経』の特徴でもあります。『阿弥陀経』では、
「釈提桓因等の無量の諸天大衆と倶なりき…」
と、通序が一応終りますと、
「その時、仏、長老舎利弗に告げたまわく…」
で、途端に説法が始まっている。通序から直ちに説法が始まっている。これが『阿弥陀経』の特徴です。機縁がないのです。それで、古来『阿弥陀経』のことを〈無問自説経〉と呼んでおります。誰も問わないのに釈尊が自らお説きになったお経ということです。誰も問うていないにもかかわらず釈尊がお説きになった。誰も問うていないのにお説きになったのですから、お釈迦さまはよほど仰しゃりたかったのでしょう。問われたならば、これは答えなければならないからしかたがないとしても、誰も問うていないのだから黙ってもおれる。問われて答えなければ責められるということもあるでしょう。けれども、誰も問うていないのだから、何も言わなくてもすむ。にもかかわらずお説きになったということは、よくよく何か言いたいことがあったに違いない。それで私たちは『阿弥陀経』は、『三部経』にとっては釈尊の遺言であるというふうに受け取っているのです。『阿弥陀経』が釈尊の遺教である。
「よくよく覚えておけよ、大事なことだぞ、忘れてならんぞ。」
こういうお心が込められておるのだと、私たちは聞かされております。
ところで、『観経』の序分は、だいたい王舎城の悲劇が内容になっています。善導さまが序分を大事にされたということは、この人間世界に起こった悲劇を大事にしておられるということです。そのお心を受けて、親鸞聖人も、
「しかればすなわち、浄邦縁熟して調達闍世をして逆害を興ぜしむ。浄業機彰れて、釈迦韋提をして安養を選ばしめたまえり。」
と、王舎城の悲劇のことを、「仏法興隆の唯一の機縁だ」といって、非常に大事にしておいでになります。〈浄邦縁熟して〉お浄土の機縁が熟して、ああいう悲劇が起こったのだ。
「あの悲劇は非常に大事な悲劇なのだ。悲劇は悲劇であっても、仏法興隆の機縁となった唯一の悲劇なのだ。」
と仰しゃるのです。
我々の生活でもそうなればいいわけです。人間には色々な悲劇が起こる、それが仏法興隆の悲劇となれば助かる。それを教えてくださっているのが『観経』です。あれは女性最大の悲劇ですね。自ら腹を痛めて生んで育てた子どものために、我が夫は殺され、自分自身は牢屋の中へ放り込まれる。これ以上の悲劇は女性にはないと思います。
それが実はお念仏が明らかになる機縁となった。これは非常に大きなことです。善導大師が序分を大事にされたというのは、そういうことです。
悲劇には色々あります。周囲を見回せば、悲劇は様々な所に、様々な形で起こっている。けれども、それが仏法興隆のご縁となったような悲劇は王舎城の悲劇たった一つです。
確かに序分の所では悲劇になっている。けれども『観経』の終わりの所を見てみますと、

「尊者目蓮、阿難及び韋提希等、仏の所説を聞 きて、みな大きに歓喜す。」
と、書かれております。尊者目蓮、阿難及び韋提希は、みな説法を聞いている人です。お釈迦さまは阿難と目蓮を左右に従えて王舎城の牢獄の中へおでましになった。だから聞いている者は、まず出家としては目蓮と阿難です。それから正しく相手である韋提希。これらの人々が釈尊の教えを聞いて大いに歓喜した。そうしますと、悲劇が転じて歓喜になった、悲しみ転じて大歓喜になっている。こういうのが王舎城の出来事なのです。これを善導大師は非常に大事にしておられる。そういう意味で長々と序分をお取りになった。
聖道の諸師は王舎城のあの事件の所だけを序分にしておられるのだけれども、善導大師は、お釈迦さまの説法が始まってもまだ序分が続いているのだという見方をしておられます。やはり、この説法をも事件の中に入れておられるのです。そんなことで王舎城の悲劇というものを非常に大事にご覧になっているという意味が、序分を長くとられたということの奥にあるわけです。これが古今楷定の、まず一つ大事な点です。


六つの楷定A(仲野良俊先生のお話)

実業の凡夫


いわゆる聖道門の学者方は、例えば提婆達多(ダイバダッタ、ダイバと同じ)とか頻婆娑羅王とか、あるいは阿闍世とか韋提希とか、そういう人々のことを、これは仏の心が現われて、我々のためにああいうような悲劇を見せてくださっているのであって、みなこれ大権の聖者であると、こういう解釈をしておられる。
大権の聖者、聖者というのは菩薩のことです。菩薩が仮りに提婆と現われ、阿闍世と現われ、あるいは頻婆沙羅と現われ、韋提希と現われて、ああいう一つの出来事を演じて、我々を仏法に引き入れるために見せてくださった。そういう一つの演劇である。こういう見方なのです。権というのは仮りに現われるのを権という。権現という言葉があるでしょう。仏さまが仮りに神と現われたのを権現といいます。こういうふうに聖道の諸師はご覧になるのです。
それを善導大師は、
「そうではない。みんな業を抱えたところの凡夫である。」
と仰しゃった。
大権の聖者ということになってしまうと、あの悲劇は単なる芝居ということになる。どんな形をとっておられても菩薩方がやっておられることならば、感心するとか、多少心引かれるとかいうことはあったとしても、身につまされるということはない。本当に身につまされるというのは、本当の悲劇でなければならない。善導大師は、まざまざと自分の身につまされてあの悲劇を受け取られた。だから、あの人々は〈実業の凡夫〉だといわれる。本当に業を抱えた凡夫が本当に苦しんだのだ。そうでなければ、念仏で助かるということの意味もない。助かったことも芝居だということになる。苦しんだのが芝居なら助かったのも芝居です。
善導大師は本当に深い業に悩み、深い業に苦しんで、そして念仏に遇われた記録なのだと受け取られた。そうして、
「あの方々はみんな凡夫だ、本当に苦しみ悩んだ人々なのだ、そして念仏に救われた人々なのだ。」
と解釈されたわけです。いかに深い宿業に悩む人間であっても、
「本当に救われる道は念仏にある。」
ということを、まざまざと私たちに証明しておられる事実が、あの王舎城の悲劇である。だからこそ、本当に身につまされてそれを受け取ることができるわけです。聖道の諸師は学者ですから、きれいにこれを解釈する。その点が善導大師とは非常に違う点でもあるわけです。


六つの楷定B(仲野良俊先生のお話)

定善と念仏


定善というのは、定はサマーディといって、三昧のことです。心を静めて、ある対象に向かって集中するのが定です。これを専注という。心を散らさず心を静めて、あるいは対象に向かって心を注ぐ。そして、はっきりするものははっきりするという、一つの行です。仏を観る行、仏を観るために心を静める。この観が十三観あるのです。
『観経』の場合は、「日を観よ」とか「樹を観よ」とか「水を観よ」とか、現実にある具体的な色々の物事を観るというので、これを事観というのですが、事観ということがでてくるので『観経』は非常にもてはやされたわけです。
たいがいは理観といって、諸法実相とか法性真如というような理を心の中に思い浮べて観察するということがあったのですが、それでは形のないものを心に浮かべて深く考えてゆくのですから、非常に抽象的です。ところが『観経』では、浄土を見たかったら水を観よとか、浄土を見たければ太陽を観よとか、あるいは樹を観よとか、そういう事観になっている。これが『観経』の特徴なのです。具体的なものを押えて観ということをやらせようとしているものですから、聖道の諸師方もこれは非常に素晴らしいというので歓迎されたわけです。
聖道の諸師と善導大師との『観経』の読み方の違いの中で重要なことは、一般的には観仏ということが『観経』の中心、肝心要であるとするのに対して、善導大師は『観経』には、もちろん観仏が説いてあるけれども、
「むしろ、お釈迦さまがお説きになりたかったのは念仏だ。」
と読まれたということです。表面は確かに観仏ということが出ている。しかし、その前面に出ている観仏の間に、チラッと念仏が出る。その念仏が非常に大事なのだ。顕説、解かれたのは観仏の教えだけれども、説こうとされるものは実は念仏なのだということです。観仏に隠されて念仏が説かれている。これを隠説といいます。
実は、お釈迦さまの本当のお心は念仏を説きたい。しかし、直接その念仏を説いても直ちにはわからんから、まず仏教の本筋の観仏という形で説いて、陰に念仏を出しておられる。こういうところに方便ということがあるのです。それはむしろ私たちに近づいてきているわけです。方便が説かれているということは、それだからつまらんという事ではない。我々に親しいものになって説かれている。そういう点に方便の非常に大事な意味があるのです。


六つの楷定C(仲野良俊先生のお話)

散善と凡夫


散善というのは、三つ出てきます。散善三観です。その三観がまた三つに別れております。どういうことかというと、人間というものを九通りに分けて、それぞれの道を示してある。まず大きく人間を上品、中品、下品と三つに分ける。三つではまだ大雑把なので、それをさらに三つに分けて、上品上生、上品中生、上品下生。それから中品上生、中の上です。そして中の中、中の下。下品も三つに分けて、下品だけれども、ちょっとましだというのが下品上生、それから下品の中、最後に下の下。これはもう、箸にも棒にもかからないというのが下品下生。こういうふうに九通りに分けて、するべき実践を示してある。これは非常に具体的なものが出ているのです。
例えば上品上生の人というのは、
「慈心にして殺せず、諸々の戒行を具足す。大乗方等経典を読誦す。六念を修業す。廻向発願して彼の国に生ぜんと願ず。」
とか、至誠心、深心、廻向発願心を具しているとか、そんなことになると、これは全く大乗の聖者です。それから上品の中の人は、
「必ずしも方等経典を受持読誦せざれども、能く義趣を解り、第一義において心驚動せず。深く因果を信じて大乗を謗せず。」
というのだから、これも大乗の悟りを得た人。上品下生でもそうです。
「因果を信じ、大乗を謗せず。但無上道心を発す。」
菩提心を起こしているというのだから、これも大乗の人でしょう。それから中品の方は小乗によって目覚めた人。それから下品、これはどうもどこから見ても凡夫だ。下品中生は、
「あるいは衆生ありて五戒、八戒及び具足戒を毀犯す。」
と、戒を犯しているというのだからこれも凡夫です。〈かくの如きの愚人〉と書いてある、
「僧祇物と偸み、現前僧物を盗み、不浄に説法す。慚愧あることなし。諸々の悪業をもってして自ら荘厳す。かくの如きの罪人…。」
と書いてある。これは全く凡夫です。下品下生になったら、これはひどい。
「下品下生というは、あるいは衆生ありて不善業たる五逆十悪を作る。諸々の不善を具せるかくの如きの愚人…。」
と言われていまして、これも凡夫です。上品は大乗に遇った聖者、中品は小乗の聖者、こういうふうに聖道の諸師、浄影寺慧遠とか天台智とか、嘉祥寺吉蔵とかいう高僧方は見ておられる。
それに対して、善導大師の判定は、
「九品全部が凡夫だ。」
と言われた。〈九品皆凡〉といいまして、みんな凡夫だ。つまり、凡夫にも色々ある。上品というのは何かというと、これは大乗の法に遇った凡夫である。中品というのは小乗に遇った凡夫。それに対して、下品は何にも遇っていない凡夫、悪業だけに遇っている凡夫、全く仏法に遇っていない凡夫。しかし、仏法に遇っていると否とにかかわらず、九品全部が凡夫だといわれる。ということは、
「だいたい仏法というものは凡夫の道だ。」
というのが善導大師の解釈でしょう。仏法というのは偉い人の道ではない、仏法は凡夫の助かる道だと見られるのです。凡夫というものを非常に大慈にしておられる。他の方々は凡夫ということを言わないことはないけれども、凡夫というものを非常に狭く見ておられる。そうではなくて、凡夫というものは広いものだ、良いことをしていてもやはり凡夫なのだと言われる。
例えば、こういうことがあります。韋提希は最初は定善を求めている。それから散善を求めている凡夫もある。散善というのは何かというと、心は散るけれども、多少心がけて、ちょっとでも良い方へ行きたい、こういうようなのが散善を求める人です。けれども、共にこれは凡夫だというのが善導大師の解釈です。定善を求め散善を求めるような凡夫は、これは善の凡夫です。それから逆とか悪とかは全く悪凡夫、悪縁に遭い悪業に催されている凡夫。例えば韋提希とか頻婆娑羅王は善凡夫です。牢獄の中で八戒を求め、あるいはまた教えを聞いた。これは法を求めている凡夫です。それに対して、阿闍世とか提婆達多等という者は悪業に催されている凡夫でしょう。しかし両方とも凡夫なのです。この凡夫ということが非常に大事なのです。〈一切善悪凡夫人〉といってありますが、善も凡夫なら悪も凡夫です。凡夫を忘れるところに、私たちはいつも仏法から外れる。
人間というものは、いつも自分に夢を見るのです。ちょっと良いことをするとぐっと上がる、凡夫を忘れる。調子が良いと人間は凡夫を忘れる。しかし、凡夫というところに我々のいなければならない場所がある。その夢を破ってくださるのは何かというと、業です。これに催されるといっぺんに夢は破れる。調子の良い時は、
「俺もまんざら捨てたものではない。」
と思っているけれども、本当は凡夫であるという証拠に、次から次と宿業が催してくる。凡夫を忘れて見ている夢を破ってくる、それが業です。これがありがたい。
人間は、ちょっと調子が良いと、すぐに凡夫を忘れて思い上がる。思い上がるのを驕慢の衆生という。それなら業に催されれたら、ちょっとは自分がわかるかというと、そうではない。今度は邪見に陥る。僻んでみたり、人を恨んでみたりして邪見に陥る。それを凡夫に返すというのが仏法なのです。
そのような人間を素直な人間に返す、それが凡夫なのです。凡夫ということほど素直なことはない。凡夫というのは〈駄目な奴〉ということではありません。悪い奴という意味でもない。善業に催されれば善もする、悪業に催されれば悪をもする。業に催されているのを凡夫というのです。自分を自慢する必要もないけれども、卑下する必要もない。そういうことで、凡夫へ返れば楽で明るく、素直なのです。凡夫というところに、自分が自分らしい自分に返っているという心がある。
念仏の道は、人間の業というものを非常に大事に考える。また人間をどこまでも凡夫として見ていく。凡夫が大事なのです。聖道の仏教では、凡夫というものはつまらんものだ、くだらんものだと考える。が、そうではない。凡夫が大事だというところに九品全部が凡夫だと決定された善導大師のお心があったわけです。


六つの楷定D(仲野良俊先生のお話)

観念と念仏


聖道の諸師と善導大師との『観経』の読み方の違いの中で重要なことは、一般的には観仏ということが『観経』の中心、肝心要であるとするのに対して、善導大師は『観経』にはもちろん観仏が説いてあるけれども、むしろお釈迦さまがお説きになりたかったのは念仏だと読まれたということです。

「表面には確かに観仏ということが出ている。しかし、その前面に出ている観仏の間に、チラチラと念仏が出る。その念仏が非常に大事なのだ。説かれたものは観仏の教えだけれども、説こうとされるものは、実は念仏なのだ。」
ということです。
説かれているのは観仏で、これを〈顕説〉といいます。はっきり説かれている。説かれているのは観仏だけれども、そこに説こうとしておられるのは念仏である。観仏に隠されて念仏が説かれている。これを〈隠説〉といいます。実はお釈迦さまの本当の心では念仏を説きたい。しかし、直接その念仏を説いても、直ちには分からんから、まず仏教の本筋の観仏という形で説いて、陰に念仏を出しておられる。こういうところに方便ということがあるのです。
『観経』というものは、いわゆる教学的には少し低いわけです。というのは方便というものがあるから、『大経』のように真実だけが出ているのとは違う。格が少し下がっている。しかし、格が下がっているということは、むしろ私たちに近づいてきているわけです。方便が説かれているということは、それだからつまらんというようなことではない。我々に親しいものになって説かれている。そういう点に方便の非常に大事な意味があるのです。


六つの楷定E(仲野良俊先生のお話)

光明の因縁

仏教では自力のことを分別といい、他力のことを因縁という。善導大師は他力を因縁として明らかにされた。光明名号、みな他力でしょう、それは何かというと因縁です。

分別は間に合わない、その間に合わぬ分別を間に合うと考えている。分別を止めよと言うわけでありません。我々は色々分別をするけれども、分別の通りになるのではない、因縁の通りになるのです。
「されば善きことも悪しきことも業報にさしまかせて、偏に本願をたのむ。」
ということしかないわけです。それが他力だと、こう仰しゃいます。業報にさしまかせるということは、分別を捨てるということです。因縁のままにということです。
因縁というのは、ものがあるようにあり、事が起こってくる一つの法則です。分別というのは、これは全く無法則です。勝手なことを思っている。因縁はきちんとした法則です。
迷うにも法則がある、迷うのも因縁です。迷いの因縁、苦しみの因縁のことを十二縁起と仏教では言います。迷うには迷うようになっている法則がちゃんとあるのです。そして迷うことも因縁だから、目覚めるのも因縁による。だから迷うようにしていたらいつまで経っても迷うし、迷いを翻すようにしていれば、そういう因縁に遇ったら、否でも応でも目覚めることはできる、総てが因縁による。因縁だけが本当に人間を動かしている。だから因縁だけに力がある。分別というものは、これには力がない。
いま善導大師は光明名号というものが因縁であることを明らかにされた。
諸仏の所証は平等で一つ。諸仏のお悟りはみな一緒。ある仏さまの悟りは優れているし、ある仏さまの悟りはちょっと劣っている、そんなことはない。仏である以上、何も区別はない。しかし、もし願行をもって、願と行ということで押えてくると、阿弥陀仏には因縁がある。悟りということでは一緒だけれども、願と行ということでは阿弥陀仏が特に優れておられる。名号が因、光明が縁です。こういうことを善導大師は押えてこられるわけです。
光明
は衆生を包んでくる。光明で衆生を包むということは、仏の摂取の光明において自分の姿が見えてくることです。これが光明の働き、光明摂取です。仏の働きは何かというと、衆生を包む。衆生を包むというのは、光明の中に衆生を理解するというか、衆生を光明に包むことによって衆生が露になってくる。衆生を見通す、それが光明の働きでしょう。
我々からいうと、光明に包まれることによって自分の姿が見えてくる。仏の働きに遇うならば、自分の姿というものが段々見えてくる。そしてその見えたところへ、
「南無せよ。」
と呼びかけることによって、自分自身がガラリと造り変えられる。
「南無せよ。」
と、こう呼びかけられる。
「汝自身の姿をはっきり受け取れ。」
ということです。名号をもって我々に呼びかけられる。
光明がなかったら、自分を見るわけにはいかない。光明に包まれているから、自分の姿が見えてくる。その見えてきた所へ、
「汝自身をよく見よ、南無阿弥陀仏」
と呼びかけられる。そして、見えた途端に頭が下がる。南無が成就する。南無が成就した途端に自分自身は造り変えられている。大きな自己変革自己革命が起こってくるのです。これが名号の働き、教化です。
分別ということは、我々は自分の心を頼みにしている。そうではなくて、如来をたのむということは、我が心を頼まないということがなければならない。
「我が心を頼んでおるわ、如来もたのんでおるわ。」
ということになると、そんなのは二股膏薬です。聞法の場へ来た時には仏さまをたのんでおるけれども、靴を履いて家へ帰ったら、途端に我が心を頼む。あっちへついたり、こっちへついたり、こんなものは〈若存若亡〉といって、ご信心があったりなかったりする。寺へ来るとあるような気になるし、家へ帰ると、途端にご信心はどこかへ行ってしまう。そうではなくて、我が心は頼まないのが如来をたのむということなのです。一度信心を獲たら、いつでも自分を頼みにしていることを縁として、
「また、とんでもないものを頼んでおった。」
と如来をたのむ。
我々はいつでも念仏から転がり出ている。転がり出ていても、転がり出ていたと知ることが内へ返ることなのです。またも計らいを頼りにしていたと思い知る、これがつまり自力無効です。自力無効だというところに他力がある。無効を知ることが如来をたのむことなのです。「とんでもないものを頼りにしていた」と気づくことによって如来をたのむ。
そういうことで、こういう人間の非常に大きな変化、変革を与えるものが名号。
そして光明は私を光で包む。光明に包まれることによって、我が姿が段々明らかに見えてくる。その我が姿が見えてきたところに、如来は呼びかけて、

「よく汝自身の姿を見よ。」
と言われる。とんでもない姿であったと気がついた時にガラリと変わってくる。光明をもって衆生を摂取し、名号をもって衆生を造り変える。
諸仏には悟りはあるけれども、この因縁というものがない。我々をたすける因縁が阿弥陀仏だけにあるということを、名号が因であり、光明が縁であることを明らかにされたのです。
親鸞聖人は光明のことを悲母、名号は、名号と言わずに徳号と言われておるけれども、徳号の慈父と言われる。名号というものは父ですから厳しいのです。名号は叱るのです。
「汝自身を見よ、また間違うておるぞ。」
と言って叱るのです。我々はいつでも名号に叱られていく。名号は有り難いというようなものではない。名号というのは実に厳しいものなのです。だから本当を言うと念仏はあまり好きではない。叱られてばかりいるから辛いのです。けれどもその厳しさは愛情温かい厳しさで、冷たい厳しさではありません。それで慈という字がついているのです。
光明というのは悲母です。これは衆生を包む。衆生を包んで、包んだ衆生を叱る。そうして我々は完成されてゆく。外のものを叱るのではない、内なるものを叱る。そこに如来の痛みがあるのです。外のものを叱るのなら、ただ怒っているというだけの話。内なるものを叱る、そこには親が子どもを叱るような心があるのです。他人を叱っているわけではないでしょう。摂取したものを叱っている。そこに如来の非常に深い痛みというものがあるわけです。
この二つが揃っているというところに、阿弥陀仏が諸仏と全く違う理由がある。光明名号が因縁たること、
「光明名号の因縁たることを顕したまう。」
と、こういうように読まなければならないと私は思います。


実業の凡夫と権化の仁(桐渓順忍和上のお話)

韋提希が三忍を得たことについては、中国の仏教学者の間に問題があって、
「韋提希は凡夫の姿はしておるが、実は優れた菩薩が仮に凡夫の姿を現わしておるのである。だから、あんな簡単な釈尊の説法で無生法忍を得たのである。」
と主張する人もありました。
しかし、善導大師は、
「韋提希は、決して菩薩が仮に姿を現わしたものではなく、初めから凡夫である。釈尊の『観経』の説法だけで無生法忍を得たのは仏力他力によったからである。その意味が分からないから、位の高い菩薩が仮りに姿を現わしたものだなどと誤るのである。」
と、説かれたのであります。
ところが、親鸞聖人は、
「韋提希を浄土から出てきた方だ。」
と。権化の仁と、権人説(菩薩が仮りに凡夫の姿を現わしておるもの)を用いられておるのであります。しかし、同じ権人説を採りながら、中国の学者と親鸞聖人とでは、その結論において大いに異なるものがあります。
それは、中国の学者たちは、
「韋提希は権人だから、韋提希が無生法忍を得たということは、一般の凡夫の例にはならない特別なものだ。」
と言い、善導大師は、
「あれは実の凡夫であり、凡夫往生の証拠になるのだ。」
と言われたのであります。
そして、親鸞聖人の場合は、
「韋提希は権人であり、阿弥陀如来のお慈悲や釈尊の仰せに従って『観経』の説法を起こすために浄土から仮りに姿を現わした人だから、韋提希が救われていくことが凡夫の救われていくことに間違いのない証拠となるのだ。」
と言われるのであります。
だから善導大師も親鸞聖人も、共に、

「韋提希の救われていくことで、凡夫も救われていく。」
と主張されるのであります。ただ、韋提希とその人をどう味わうか、
「あの人も往生したのだから、私も…。」
とみるのか、
「あの人は私を往生させるためにご苦労くださった。」
と味わうかの相違でありましょう。


開入本願海(蜂屋賢喜代先生のお話)

善導大師は、私どもの助かるのは信心によるのであり、その信心は如来光明の縁と名号の因とによるのであるから、全く因縁ともに他力なることを知らせてくださったのでありますが、次には、その信心の徳を表わして、金剛心であることを知らせてくださったのです。即ち、一度他力本願に帰入すれば、その信心の念仏行者は必ず正に金剛心を受くる身となるのであると申されました。
古徳は、
「〈開入すれば〉とあるのが大変有り難い。」
と申されていますが、考えてみれば、いかにもそうであります。〈開〉とは他力の本願海が我が前に開かれたのであります。単に本願海に帰入するのではなく、今までは定善を修することが自分の助かる道であると思い、あるいは散善を修することが助かる道であると考えておったのが、定善によっても助からぬ自分であり、散善によっても助からぬ自分であることが明らかになり、まして十悪五逆の自分であってみれば、なおさら助かる道はどこにもないことが分明になった時には、自力によって助かる道はないということが明瞭となって、自力の道は全く閉塞するのであります。この時、十方衆生を他力によって助けんという如来の本願海のみが、自分の前に開かれて、帰入する心となったのですから、塞がっておった道が開かれて帰入するようになったのであります。
本願の大智海に帰入することとなれば、その念仏の行者は間違いなく金剛心を受くることとなるのであります。受くると申されたのは、この心は自分で起こしたのではなく、信心は他力でありますから、正しく受けしめと申されたのであって、他力によって与えられる金剛心であります。


金剛の信心(蜂屋賢喜代先生のお話)

金剛心とは、信心を金剛に譬えられたのであって、金剛とはダイヤモンドのことであります。
金剛は第一に堅固ということを表わす喩で、善導大師は、
「この心、深信せること金剛のごとくなるによる。」
と申されています。金剛は何よりも一番固い物であって、他の何物にも破壊せられることがなく、また他のいかなる物をも破摧する力があり、徳があります。一度他力の信心が発れば、それは再びいかなる自力の教にも誘惑されることがなく、動乱せられることがありません。即ちその信心の破壊されることはありません。また、いかなる思想も、却ってそれらの誤れる思想を破摧して、決して邪道に迷うようなことにはならない徳があるのであります。他に破壊されず、他を破摧してゆく力があるところに、常に安住して向上の一路を進み、決定して無上の極果に到達する幸栄を有するのであります。
信心の徳を金剛によってっ譬えられたということは意味深いことであると思います。金剛は昔から、世の宝として尊重されています如く、信心は私どもの真の宝であります。金剛は堅いばかりでなく、自らが輝き、その上他を照らす徳があります。そのように信心には人生の闇を破って自ら輝く徳があります。闇を破ることは、自らを輝かして常に光ることであり、自ら光るということは、常に幸福を失わないことであります。また金剛は水火に入ってもなお自らを滅亡させない徳があります。即ち金剛はいつまでも泥中にあっても腐敗せざるが如く、信心には貪愛の煩悩生活の汚泥の中にあっても、その幸福を失わず、腐乱することのない徳があります。また火の中にあっても、断滅したり損減することがなく、その徳を焼失することがないのであります。このように信心を金剛に例えられたことは、味わえば味わうほど尊いことであり、有り難いことであります。
親鸞聖人が、
「真に知んぬ。弥勒大士は等覚の金剛心を窮むるが故に、龍華三会の暁、当に無上覚位を極むべし。念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるが故に、臨終一念の夕べ、大涅槃を超証す。かるが故に便同というなり。」
と喜ばれているのも、他力横超の金剛心なるがゆえであります。
弥勒菩薩は等覚位の菩薩ですから金剛心の菩薩であって、金剛心の菩薩となられたのであるから決して自分の道は他のものによって破壊されることがなく、五十六億七千万年の後には必ずこの世界に生れ出て、釈尊の後を継いで、龍華樹の下において三度の講説を開く仏となられるに定まっているのであります。
それと同じく、本願の大智海に開入したる念仏衆生は、横超の金剛心を受けるものであるから、臨終一念の夕べにおいて、大般涅槃を超証するに定まっているのです。故に自力で等覚の金剛心を得るに至った弥勒と、他力によって横超の金剛心を受けた念仏衆生とは、自力と他力の差異こそあれ、金剛心たることにおいては同じであるから、即ち弥勒に同じというのであると申しておられるのであります。

五十六億七千万  弥勒菩薩は歳を経ん
真の信心獲る人は このたび証を開くなり

念仏往生の願により 等正覚に至る人
即ち弥勒に同じくて 大般涅槃を覚るべし

真実信心獲るゆえに 即ち定聚に入りぬれば
補処の弥勒に同じくて 無上覚をば覚るなり

と、申されているのは、その喜びであります。


三忍(宮城先生のお話)

『観経』は実業の凡夫・韋提希がその身のままで、しかも菩薩最高の金剛心を受け保つことができた希有な記録であります。その相を経文には、
「仏身及び二菩薩を見たてまつることを得て、心に歓喜を生ず。未曽有なりと歎ず。廓然として大きに悟りて、無生忍を得。」
とあります。
この経典の言葉を依り処に、善導大師は、韋提希の受けた境地を、
喜忍(信心を身に得ることができた喜び)
悟忍(仏法の自覚を開き得た相)
信忍(仏陀の教えを信じとった相)
の三忍の名をもって示してくださったのであります。つづめて言えば、
無生法忍(真理に目覚めた智慧)
その意義を開いて言えば〈三忍〉であります。〈忍〉とは、智慧を表わす言葉です。事実をどこまでも事実として受け取り、認めてゆく働きです。その認める働きが今の忍の文字をもって記されているのですが、これは深い意味を含んでいる表現だと思います。
智慧は、どこまでも、事実を事実として、ありのままに認めるという働きなのですが、それは決して、事実を自分の頭で掴むことではないということを示しているのが、この忍という表現です。どんな形であっても、人間が何かを掴んだという時には、それを自分の手に合うように小さくして掴んでいるものです。仏道を求めているつもりが、気づいてみれば、

「自分の手に合うようにして掴んでいたに過ぎなかった。」
という嘆きがあります。仏道をも名利の道にすり替えてしまうのです。私たちは事実を掴むのではなく、事実に触れるのであり、
「ああ、そうであったか。」
と、うなずかしめられるのです。そして信心の智慧は、そのような事実をどこまでも事実として、それに耐え忍んでゆく力として与えられるものなのです。もちろん耐え忍ぶと言っても、
「これも運命だからしかたがない。」
と諦めてしまう、あるいは、歯を食いしばって我慢するというのではありません。
一家の働き手である息子を交通事故で失った老婦人が、やれ慰謝料だ、やれ保証金だと騒ぐ親類の心配をよそに、
「これも因縁だ。」
と言って、翌日から嫁を助けて野菜売りにでかけて行ったというのです。
因縁だと解釈し、理屈で納得したのではないのです。因縁とうなずくことによって、その因縁のままに生きてゆくことです。そこには自分の命、他人の命という差別対立した心ではなく、自分の命そのものも因縁によるという事実に目覚めている人の、心の広やかさと強靭さがあります。それが、ここに言われる忍の相でありましょう。
つまり新しい事実の前には、それまでの自分の生活のあり方、一切の努力、経験をすっぱりと捨てきって、その新しい事実に従って生きてゆける力なのですが、実はそのような力によってのみ、はじめて、いかなる事態に立たされても、うろたえ騒ぐことなく、自在に生きてゆけるのであります。
人間が精神的に老いるということも、結局は、自分のたどってきた経験、自分の払ってきた努力に対する執着が捨てられないことによるのです。それに対して、精神的な若さというものは、自分の体験、努力にこだわらず、時代の動きに即応して新しく生きてゆける柔軟さにこそあるのでしょう。
無生法忍とは、詳しくは無生無滅の法ということであります。我々はどこまでも生滅の存在、生れ、そして死んでゆく存在であります。
しかし、その私の命は、私の命とは言えないものなのです。つまり、私の命は他の誰のものでもない、この私の命なのですが、しかもそれは、私の所有物では決してないものです。もし、私の命が私の所有物であるのならば、私はもっと良い時代にもっと良い境遇を選んで生れられたはずですし、死ぬ時も、その所も自由に選べるはずです。しかし、事実は気がついたらここに生れていたのだし、またどれだけ生き続けていたいと思っていても死ななければならないこともあるし、逆に死にたいと、何度自殺を計っても生き返ってしまう人もあるのも現実であります。つまり、私の命は私の思いを越えたものなのです。
私の命は私の所有物ではなかったという事実に目覚めた言葉が不生不滅の義としての衆生という言葉であります。衆生とは、私の思いを超えた大いなる命を、私は私において、彼は彼において、親は親として、子は子として生きているものということであります。
例えば、俳優が俳優として、たとえどんな役であろうと喜んで演じられるのは、皆と一緒に一つの舞台を作っているのだという自覚を持ち、芝居そのものを愛する時です。もし、その心がないならば、脇役は主役を妬み、主役は主役で、知らず知らずに驕り高ぶってしまうでしょう。しかし、主役といい脇役といい、それらは共に舞台にあっての話であります。つまり、同じ一つの舞台という命を、主役は主役として、脇役は脇役として生きているのです。役者がその事実に目覚める時、役者としての自分の命は自分が作り出すものではなく、舞台を支えているすべての人々と、舞台そのものであると気づく時、はじめて、主役だからといって高慢にならず、脇役だからといって卑下せず、与えられた役に自在に生きられるのです。
法性とは、そのような、あらゆる存在にゆきわたり、あらゆる存在を成り立たしめている命そのものであります。その命に生きる姿が常楽、常住安楽の境地であります。与えられてある境遇のままに、自在に生きることのできる心であります。
実業の凡夫・韋提希は、仏在世の世に生まれ合わせ、その仏力を受けて、凡夫の身のままで最高位の菩薩と同じ心を受けることができました。実に稀有なる仏縁に遇い得たというほかはありません。
しかし今、善導大師は韋提希を正機として説かれた『観経』の意を明らかにしてくださったのであります。本願を聞信する一念において、我々にもまた韋提希と等しく三忍を得て、法性の常楽を悟ることができる、
「既にこの道あり、必ず渡るべし。」
と明らかにしてくださったそのご事業を、宗祖は「善導独明仏正意」と讃嘆されているのであります。